狩猟の世界の現実
俺の名前は津田修吾。
元プロボクサー。そして、今も現役のアームレスラーだ。
これまで国内外でさまざまなビジネスに挑戦してきた。飲食店を経営し、海外にも渡り、成功も失敗も経験してきた。
リングの上では相手と殴り合い、ビジネスでは何度も壁にぶつかってきた。
そんな俺が今、山奥で鹿や猪を追っている。
なぜ、猟師になったのか。
そして、なぜ今、「猟友会の光と影」という連載を書こうと思ったのか。
これは、俺が山で実際に経験した出来事を記録する物語だ。
山には獣道がある。
そして、人間にも
縄張りがあるらしい。
第1話|山奥へ移住する
リングから山へ。俺が選んだ新しい生活
俺は昔から、一つの場所にじっとしている人間ではなかった。
プロボクサーとしてリングに立ち引退後、アームレスリングにも打ち込んできた。
仕事でも同じだ。
飲食店を複数経営し、海外(イギリス)でもビジネスに挑戦してきた。
思いついたら動く。やると決めたら、とことんやる。
そんな生き方をしてきた。
2024年、俺は山間部にある築100年以上の古民家を購入した。
古い家だった。
直さなければならない場所はいくらでもある。
それでも、自分の手で家を直し、自然の中で暮らす生活に魅力を感じた。
引退後、借金返済のための東大阪での生活とは、まるで違う世界だった。
静かな山。
季節ごとに変わる景色。
そして、当たり前のように姿を現す野生動物たち。
このときの俺は、まだ知らなかった。
この山が、後に自分の人生を大きく変えることになるとは。
鹿を見て思った。「あれ、食えるんちゃうか?」
山で暮らすようになると、鹿を見かける機会が増えた。
都会に住んでいた頃は、野生の鹿を目にすることなどなかった。
ところが、ここでは違う。
山道を走っていれば鹿がいる。
夜になれば、暗闇の中で鹿の目が光る。
最初は珍しくて、ただ眺めていた。
だが、あるとき思った。
本当に、それくらい単純なきっかけだった。
当時の俺は、狩猟の世界について何も知らない。
猟友会がどういう組織なのかも知らない。
罠の種類も、仕掛け方も、鹿を捕獲した後に何をすればよいのかもわからなかった。
ただ、自分で鹿を捕ってみたい。
そして、捕った命を食べてみたい。
その興味が、すべての始まりだった。
2024年、狩猟免許を取得した
2024年、俺は狩猟免許を取得した。
とはいえ、免許を取ったからといって、すぐに鹿が捕れるわけではない。
罠猟には、山を読む力が必要になる。
鹿がどこを通るのか。
どこで立ち止まるのか。
どんな場所なら罠を仕掛けられるのか。
そんなことは、教科書を読んだだけではわからない。
そして何より、俺には狩猟を教えてくれる師匠がいなかった。
免許を取得した後、地元の猟友会へ連絡した。
すると、地域の役員が二人、家まで来てくれた。
ようやく、狩猟をしている人たちとつながることができた。
そのときは、素直にありがたいと思った。
しかし、地域の役員は銃猟や箱罠の経験はあっても、俺がやろうとしていたくくり罠を専門に教えてくれる人ではなかった。
結局、俺は自分で覚えるしかなかった。
誰も教えてくれない。独学の罠猟が始まった
罠猟は、思っていた以上に難しかった。
鹿の足跡を見つけても、そこを必ず通るとは限らない。
獣道だと思っていた場所に、何日も鹿が現れないこともある。
罠を仕掛けたからといって、翌日に獲物が掛かるほど甘い世界ではなかった。
山を歩く。
足跡を見る。
罠を仕掛ける。
そして、また山へ行く。
その繰り返しだった。
失敗しては考え、また試す。
格闘技もビジネスも、最初からうまくいくことなどなかった。
だから、鹿が捕れないからといって諦めるつもりはなかった。
これは俺自身の経験談だ。狩猟免許の取得だけで、いつでもどこでも罠を設置できるわけではない。実際の捕獲には、狩猟者登録や有害鳥獣捕獲の許可、対象区域・期間・猟法などの確認が必要になる。初心者は行政の担当窓口で条件を確認し、安全面の指導を受けてほしい。
2025年、俺は本格的に鹿を捕り始めた
2025年初頭、俺は山での暮らしを本格的に始めた。
そして4月から、有害鳥獣捕獲の活動にも取り組むようになった。
最初の頃は、月に一頭捕れるかどうかという状態だった。
鹿の通り道を見つけるだけでも一苦労。
思うように結果が出ない日が続いた。
だが、少しずつ変化が出てきた。
山を歩くうちに、鹿の足跡の見方がわかってくる。
獣道の違いが見えてくる。
罠を仕掛ける場所についても、自分なりに考えられるようになってきた。
捕獲した鹿を無駄にしたくないという思いから、解体についても学び始めた。
やがて、鹿肉や鹿の部位を活用したペットフードづくりにもつながっていく。
最初は「鹿を食べてみたい」という興味だった。
それが少しずつ、俺の新しい仕事になっていった。
初年度の捕獲記録は64頭
最初の有害鳥獣捕獲の年度が終わる頃、正式な捕獲報告の記録は64頭になっていた。
最初は月に一頭程度だったことを考えると、自分でも大きな変化だった。
もちろん、最初から順調だったわけではない。
何度も山を歩き、何度も失敗した。
その積み重ねが、少しずつ結果になっていった。
そして、俺にとって何より大きかったのは、地域の人たちとのつながりだった。
鹿や猪による農作物の被害に困っている人がいる。
罠を仕掛けてほしいと相談してくれる人もいる。
最初は何も知らずに山へ来た俺を、少しずつ受け入れてくれる人たちがいた。
俺は、猟師という生き方にやりがいを感じ始めていた。
最初の一年、猟友会との大きな揉め事はなかった
ここは、はっきり書いておきたい。
俺は最初から猟友会を嫌っていたわけではない。
むしろ、地域の役員に相談しながら活動していた。
新しい集落へ罠を仕掛けに行こうと思ったときも、事前に相談していた。
地元の人たちにも協力してもらった。
鹿の解体を教えてくれる人もいた。
狩猟を通じて出会った人たちの中には、感謝している人もいる。
だからこそ、最初の一年は大きな対立もなく過ぎていった。
少なくとも、俺自身はそう思っていた。
だが、二年目に入ってから、少しずつ空気が変わり始めた。
鹿を捕れるようになった頃から、何かが変わった
2026年。
俺は以前よりも鹿を捕れるようになっていた。
山を歩けば、鹿の通り道が少しずつ見えてくる。
地域から相談を受ける機会も増えた。
自分では、ようやく猟師として一歩前に進めたと思っていた。
ところが、ある日。
地元の猟友会役員から、思いもしなかった言葉を掛けられた。
「あんたがそこら中で取るから
鹿を見かけん!」
俺は、その言葉を聞いて戸惑った。
鹿を捕ることが、有害鳥獣捕獲の仕事ではないのか。
鹿を捕れるようになったことが、なぜ問題になるのか。
このときの俺には、理解できなかった。
だが、これが後に続く出来事の始まりだった。
昔の地区分け。
山の縄張り。
捕獲報告書のハンコ。
そして、鹿の買取をめぐる不可解な出来事。
山で相手にするのは、鹿や猪だけではなかった。
俺は、この後それを思い知ることになる。
なぜ俺は「猟友会の光と影」を書くのか
猟友会には、地域のために活動している人がいる。
長年の経験を持ち、若い猟師に技術を伝えている人もいるだろう。
俺自身、狩猟を始めてから多くの人に助けられた。
だから、猟友会という組織のすべてを否定するつもりはない。
ただ、俺が経験した出来事の中には、どうしても納得できないことがあった。
昔からの慣習が、今も当然のように語られる。
その根拠を聞いても、明確な答えが返ってこない。
地域住民が鹿の被害に困っていても、猟師同士の事情が優先されているように感じる場面があった。
これは、これから猟師になろうとしている人にも知っておいてほしい現実だ。
狩猟免許を取ることと、地域で猟師として活動していくことは、同じではない。
山の知識だけではなく、人間関係や地域の慣習とも向き合うことになる。
俺は、自分が経験したことを、自分の言葉で残していこうと思う。
もちろん、俺の見方がすべて正しいとは限らない。
相手には相手の言い分もあるだろう。
だからこそ、実際にあった出来事と、自分が感じたことを分けながら書いていく。
これから狩猟を始める人が、同じような問題に直面したとき、少しでも参考になればうれしい。
俺は、山で鹿を捕りたかった。
ただ、それだけだった。
しかし、本当に難しかったのは
鹿を捕ることではなかった。
第2話|誰も教えてくれなかった罠猟
免許は取った。
しかし、罠の掛け方を教えてくれる人はいない。
―― 続く。
著者プロフィール|津田修吾
元プロボクサー・現役アームレスラー。国内外で宿泊施設や飲食業、リサイクルや広告業など複数の事業を経験。2024年に山間部の古民家を購入し、自ら改修。同年、狩猟免許を取得し、現在は罠猟による有害鳥獣捕獲、鹿肉の利活用、ジビエ関連事業に取り組む。
運営サイト: 獣道ジビエラボ
本記事は著者自身の経験と記憶に基づく実録コラムです。会話は当時の記憶をもとに再現しており、関係者のプライバシーに配慮して一部の地名・個人名を伏せています。出来事の受け止め方には著者自身の見解が含まれます。